天才・草間彌生とは?その経歴を辿る

若くして日本を飛び出し、類まれな才能と社交力で世界的な名声を得た草間彌生。彼女の代名詞とも呼べるInfinity Nets(無限の網)と水玉模様は、芸術の限られた分野に留まらず、ファッションの一ジャンルとしても圧倒的な存在感を放っています。

人々はなぜ、草間彌生に惹かれるのか。その理由の一端を知るために、彼女の来歴をまとめてみたいと思います。

1.幼少期-渡米まで(1929-1957)

草間彌生は1929年の3月22日に、長野県松本市で生まれました。裕福な家庭で、四人兄妹の末っ子だったそうです。

無限に続くかのような網目模様や水玉模様は彼女を代表するモチーフですが、その起源は10歳の頃に見た幻覚であると彼女は語っています。それは初めて見た幻覚で、赤い花柄のテーブルクロスを見ていたところ、視線を移す先にも次々同じ花柄が見えるようになった。やがてすべてが花柄で埋め尽くされ、自己は消失した。そのように語られています。

第三者にとっては幻影ですが、草間彌生にとって、それは現実でした。そして、時をほとんど同じくして、ドローイングを始めたと言います。精神病の症状を絵画として表現することで心の安定が得られることを、彼女は経験から学んだのです。

1948年に京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)日本画科に入学し、伝統的な日本画を学びました。在学中から前衛的な作品制作に興味を持ち、卒業後は故郷の松本で個展を開催するなど精力的に活動。

1950年代には後に代名詞となる、反復的な点描や網目模様を用いた作品の制作を開始し、独自の芸術スタイルの基礎を築いていきました。

2. ニューヨーク時代(1958-1973)

渡米するまでの草間彌生の作品は、ほぼ絵画でした。大学で身につけた日本画に始まり、独自に抽象的な実験、水彩絵画や油絵具で描いた西洋風の作品へと発展し、国内の美術界、精神病理学の専門家から注目を集めます。

しかし、日本の美術界は精神病を理由に彼女を村八分にしました。少なくとも、彼女はそう感じ、1958年、27歳の時にほぼ身一つで渡米。ちなみに渡米に前後して、世界的女流画家・ジョージア・オキーフにドローイングを同封した手紙を書き、助言を求めたそうです。

ブレイクまでは絵を売りながら生計を立てようと考えていた彼女ですが、まもなく「無限網(Infinity Nets)」シリーズを本格的に確立。ドナルド・ジャッドやフランク・ステラらミニマル・アートの作家たちとも交流し、翌年の1959年には初の個展を開催して成功を収めました。

1960年代に入ると、ファリック・オブジェクトと呼ばれる男根状の突起物で覆われた「ソフト・スカルプチャー」を発表。既存の家具や空間を変容させる立体作品で話題となりました。

また、「ナルシスの庭」(などのハプニング(観客参加型の一回限りの芸術体験)やパフォーマンス・アートも手がけ、反戦運動とも結びついた過激な裸体パフォーマンスで社会的なメッセージを発信。アンディ・ウォーホルらポップ・アート作家との交流もあり、前衛芸術シーンの中心人物として活躍していきます。

3. 東京時代(1973-1980年代)

1973年、草間彌生は日本に帰国しました。膝の手術のためでしたが、その後は拠点を東京に移します。

この時期の草間は絵画制作から一時的に離れ、文学活動に力を注ぎました。小説「クリストファー男娼窟」や詩集「蟻の歌」など、自身の幻覚体験や内面世界を言葉で表現した作品を数多く発表しました。

また、雑誌の切り抜きや写真を用いたコラージュ作品の制作も開始し、従来の絵画とは異なる新しい表現手法を模索しました。

ただ、当時の日本では彼女の前衛的な活動は理解されず、美術界からも孤立した状況に置かれます。精神病も悪化し、1977年には病院で暮らすようになりました。東京の画廊で彼女の個展が開催されたのは、1982年のことでです。

1980年代に入ると、絵画や大型の彫刻、インスタレーションの制作を再開。1960年代初期の作品をさらに発展させた、より有機的な反復、網目、水玉模様によって形成された傑作を次々生み出します。

4. 再評価時代(1980-1999年)

1980年代後半から草間彌生の国際的な再評価が始まりました。1989年にニューヨーク近代美術館(MoMA)での回顧展開催を皮切りに、欧米の美術界で彼女の先駆的業績が再認識されるようになります。

決定的な転機となったのは1993年のヴェネチア・ビエンナーレ日本館代表選出。《天上からの啓示(B)》、ミラールーム(かぼちゃ)などの作品を発表し、国際的な注目を集めました。

この時期から、象徴的モチーフとなった「かぼちゃ」シリーズが本格的に展開されます。幼少期の記憶に基づくこの親しみやすい形態に水玉模様を組み合わせた作品群は、絵画、彫刻、インスタレーションと多様な形で制作されました。

1994年より、野外彫刻の制作をスタート。特に巨大な屋外彫刻「南瓜」をはじめとする大型彫刻作品は、世界各地の美術館や公共空間に設置され、草間芸術の新たな代名詞となりました。

5. 現代の評価(2000年代-現在)

2000年代に入り、草間彌生は現代美術界で最も影響力のある作家の一人となりました。特に「インフィニティ・ルーム(無限の部屋)」シリーズは、鏡と光を使用した没入型インスタレーションとして大きな話題を呼び、SNS時代の到来とともに世界中で爆発的な人気を獲得しました。

これらの作品は観客が直接体験できる幻想的な空間として、従来の美術鑑賞の概念を変革しました。

2010年代には世界各地で大規模な回顧展が相次いで開催され、テート・モダン(2012年)、ホイットニー美術館(2012年)、森美術館(2022年)など主要美術館での展覧会は軒並み入場者記録を更新。

90歳を超えてもなお精力的な創作活動を続け、デジタルアートやVR技術との融合も試みています。

現在では、最も商業的価値の高い女性芸術家として認識され、作品価格は世界最高水準に達しているとも言われています。

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