キース・ヘリングは、アメリカの現代美術を代表する画家の一人です。
太い線でシンプルにモチーフのアウトラインを描く特徴的な画風で知られており、死後30年以上経った現在も、Tシャツやファッション小物などに作品が使われています。
「キース・ヘリング」の名前こそ知らなくとも、そのポップでキャッチーな意匠は誰しも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
キース・ヘリングの下積み時代
キース・ヘリングは、1958年5月、アメリカのペンシルバニア州にあるリーディングという街に生まれました。彼の父は技術者であり、日曜大工にも熱心な創造的な人物だったと言います。ヘリングは小さい頃から芸術に興味を示し、父とともにさまざまな絵を描いたそうです。
1976年に高校を卒業したヘリングは、その後1978年までピッツバーグのアイビー・スクール・オブ・プロフェッショナル・アートで商業美術を学びます。しかし最終的には興味を失い、ロバート・ヘンライの著書アート・スピリットにインスパイアされて自身の思うアートに集中するようになりました。
ヘリングはピッツバーグ芸術センターで絵画の手入れの職を得、ジャン・デュビュッフェ、ジャクソン・ポロック、マーク・トビィなどの作品を通して感性を磨きます。1978年になると、ヘリングはニューヨークに移り住み、スクール・オブ・ビジュアル・アーツで絵画を学習。在学中はビル・ベックリーに記号論を学び、映像作品やパフォーマンス・アートの実験も行ったといいます。
また、この頃のヘリングの日記には「パフォーマンス(絵を描く動作)は結果としてできる絵と同じくらい重要になる」という気づきが記されています。
名声と早逝
ヘリングが初めて大衆の注目を集めたのは、地下鉄の使われていない広告黒板にチョークで描いたグラフィティ・アートでした。彼は地下鉄を自分の実験場、作品制作の場と考え、黒い広告紙を自由空間、「描くのに最適な場所」と見なしていたのです。
ヘリングの作品には、吠える犬や空飛ぶ円盤、大きな心臓など、記号的なモチーフが繰り返し登場しました。これがある種のサインとなり、ヘリングの名前は瞬く間に知れ渡ることになります。
1982年の1月、ヘリングはパブリック・アート・ファンドが企画した12人のアーティストの第1号として、タイムズ・スクエアに作品を展示しました。また同年夏には、ローワー・イーストサイドのヒューストン・バワリー・ウォールに初の大規模な屋外壁画を制作しています。
翌年にはアメリカを飛び出し、イタリアはミラノで壁画を製作。またロンドンでも、振付師の体をキャンバスに見立てて絵を描くなど、世界を股に活動をします。
ヘリングは「アートは大衆のためにある」という信念を持っており、その後も舞台装置や国連切手の限定リトグラフ、各地の芸術施設の装飾や壁画、彫刻にレコードジャケットなど、ジャンルに捉われずに幅広いプロジェクトに尽力。やがて自身がデザインしたグッズを扱う『ポップショップ』をオープンし、より大衆に寄り添う形で作品を発表し続けました。
1988年にエイズと診断された後は、HIV・エイズ予防啓発運動を支援するキース・ヘリング財団を設立。1990年に亡くなるまで、芸術を通して積極的に社会と関わり続けました。
高価買取される作品の特徴
市場に出回っているキース・ヘリングの作品は、多くがシルクスクリーンかリトグラフです。
技法の優劣はありませんが、インクによっては表面が盛り上がるシルクスクリーンの方がヘリングの作品と相性が良く、高価で取引される傾向があります。
キース・ヘリング作品の買取価格の例
Glowing | 300〜400万円 |
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POP SHOP I | 150〜200万円 |
POP SHOP IV | 150〜200万円 |
POP SHOP V | 150〜200万円 |
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