アンディ・ウォーホルとは?その人物像と作品価値

大量生産・大量消費社会にインスパイアされた芸術をポップアートと呼びます。もとは1950年代にイギリスからはじまった文化ですが、1960年代にアメリカで熱狂の渦を巻き起こし、当時の若者に大いに刺激を与えました。

アンディ・ウォーホルは、そのポップカルチャー全盛期を牽引したマルチ・アーティストです。

アンディー・ウォーホルとは

アンディ・ウォーホルは1928年に、アメリカはペンシルバニア州、ピッツバーグに生まれました。多感な幼少期、ウォーホルは神経系を侵し、手足を意図せずに動かしてしまう感染症に罹ります。寝たきりの生活を送った彼は、絵を描いたり、映画スターの写真をベッドの周りに並べることで病の辛さを紛らわせたそうです。

ウォーホルはこの時期の経験が、のちの自分の美意識に大きな影響を与えていると語っています。

芸術に興味を持った彼は、当初は美術教師になるつもりだったそうです。しかし高校卒業後はカーネギー工科大学に進み、商業芸術を学び始めます。

こうした経緯から、ウォーホルは商業美術や広告美術の分野でキャリアをスタートしました。靴やファッションの広告を多く手掛けましたが、この時点ですでにウォーホルは、誰も試みていなかった個性的なドローイングで数々の作品を描き上げていたといいます。

ポップアートの象徴的存在になるまで

1952年、アンディ・ウォーホル名義で初の個展を開きますが、評判は芳しくありませんでした。しかし1950年代後半に掛けて靴の広告で著名な賞を続々と受賞し、知名度を確立。

広告デザイナーとして大成功したウォーホルですが、1960年代に入るとその軸足をファインアートに移し、「キャンベルスープ缶」や「狙撃されたマリリン」「死と惨事」シリーズなど、当時のアメリカの通俗性を凝縮したような作品を次々発表しました。

また、作品を工業製品のように大量生産することを目的とした工房「ファクトリー」をニューヨークに構え、従来の重厚な世界観を持つ芸術とは一線を画す大衆寄りのアートに専心します。

1987年に亡くなるまで、膨大な数の作品を残し、映画撮影やバンドのプロデュースまで分野を横断する活躍を見せたウォーホルは、その功績からポップアートの象徴として語り継がれる存在となりました。

高価買取が期待できるアンディ・ウォーホルの作品

アンディ・ウォーホルの作品は、現在でも多くの商業アイテムにモチーフとして採用されています。

しかし、身近である一方でその作品価値は衰えていません。絵画買取市場では数万円から1000万円以上の高値に至るまで、幅広い作品が取引されています。

中でも数が多いのが、ファクトリーで手掛けられたシルクスクリーン作品です。

シルクスクリーンとは

シルクスクリーンは、網目状の布を使った、大量にイラストを作るための技法です。印刷したい絵柄に応じて網目をコーティングし、型紙のように使って作品を量産するわけです。

かつては絹を使ったことからシルクスクリーンと呼ばれていますが、現在ではナイロンやポリエステルなど合成繊維によるメッシュ地が使われます。

ウォーホルはこの手法を用いて少なくとも413種類の作品を手掛けたとされています。

高価買取される作品の特徴

作品数が多いため、アンディ・ウォーホルの作品というだけでは必ずしも高価買取されるとは限りません。

ただ、状態が良いもの(汚れや破れ等がないもの)ほど、またサインや印刷部数の記載があるものほど高い値がつく傾向があります。

アンディ・ウォーホル作品の買取価格の例

キャンベルスープⅡ 400〜500万円
ニュー・スピリット(ドナルド・ダック) 400〜500万円
ミック・ジャガー 500〜600万円
グレース・ケリー 800〜1,000万円

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